創価学会一般会員の日記

創価学会一般会員のつぶやき

宮川雄法氏について感じたこと

宮川氏の件ですが帳簿に入れなければならないお金を記載しなかったのは

創価新報の言うとうり事実だと思います。

それは本人も認めていると認識します。

自治会でも会社でも子供のサッカーチームでも入金と出金を

帳簿につけて年度末に決算して監査を受け総会で会員の決済を

受けることは一般常識から大事なことと考えます。

しかし創価新報は事実としても真実はどうかと私は考えます。

先生は改革同盟の僧侶を大事にしなさいといわれましたが

僧侶は中学を出てすぐ所化として入門しますが、宗門の修業は

性格が歪んでしまうような異常な特殊世界です。

学会は青年部時代訓練を受けますが

僧侶との訓練(修行)とは性格がかなり違ってくると

思います。社会性の問題もありますし。

その特殊な世界の僧侶を大事にすると言うことは大変なことだと思います。

たいがいは副会長が面倒みることになるとおもうんですが

大事にする=あらゆる面で長い目で面倒をみるということと私は考えます。

学会側は初めての特殊なケースのためどのように関わっていくか

解らなかったのではないでしょうか。

大事にする=腫物を触るような扱いだったのかもしれません。

宗門と学会が戦っていた時は学会側は青年改革同盟の僧侶に会合で講演させた

何千人もの会合で満場の拍手をもらい何百回も講演させ宗門との戦いに

使いに使った。(利用した。)しかし宗門との戦いもほっぽっとけば勝手に潰れると判断した

後は青年改革同盟の僧侶は用なし。敵は共産党になりました。

僧侶に学会の空いてる会館を提供して専ら法要と新年勤行会くらいしか

活躍の場所を与えず放置していた現実があります。

宮川氏、他の僧侶も当時は若く、急に売れなくなった芸能人状態になってしまいました。

我々は訓練を受けてきて挫折を繰り返し成長してきましたが

学会側は若手僧侶の成長を手助けしてあげる方法を知らなかったしご都合主義でやらなかった

のではないでしょうか。時には兄のように時には厳父のように寄り添いあらゆる面で

面倒を見切れず放置してしまったのではないかと考えます。

特殊な世界の方を受け入れた以上手を抜いた学会側にも責任はあると思います。

物事には前兆があります。その時適格な対応が遅く修正できなかったのしょう。

所化時代から拷問の修業を経験して学会に来て会館寺院を与えられ生活の保障もされて

誰からも干渉されなくなれば自制は厳しいです。

創価大卒業しバーチャルリアリティーなサークルの延長で国会議員になって

ヤクザな他党の議員と交われば生命が濁ってしまうのと似ているのかも

しれません。用なしで問題を起こせば学会も「いらない」、となります。

私が学会の従順な幹部で副会長ならマネートラップで釣って総会で突っ込み追い出します。

Σ(゚Д゚)さて真実はいかがなもんなんでしょうかネ。