創価学会一般会員の日記

創価学会一般会員のつぶやき

60周年記念上映会

7月に「60周年記念上映会」という放映があり観てきました。

冒頭に励まし協会の会長の挨拶がありました。

素朴な感想ですが、(のっけから説教ですか~。会長っだいぶ老けたな~。)ってか

んじ。

内容は(〇〇先生の戦いを原理として理解するのは、ただの師弟で師弟不二とは師匠と

一体になって戦うことだ!・・だからそのように戦おう!)だそうです。

新・〇〇革命から引用してのご指導でしたが、わかりにくい・・というか難しくて具体

的ではない。旧〇革を読むと、〇月闘争、〇田闘争、夕〇の言論戦、など戸〇先生を護

り勝利の縮図を作り続けた〇〇先生の戦いは具体性があり、心に入ってくる。

しかし、励まし協会の会長のご指導はなぜか、心に入ってきません。

理由を考えたののですが(私に信心がないから(^^♪)、

まず原稿棒読みで温かみを感じない。

ご自分の体験(現実にどのようにご自身がその師弟不二を体現してきたか)がないから

心に入ってこなく説教みたいに感じてしまう。

ご指導は抽象的で観念に感じてしまうのです。原理ではダメだと言いながら原理でご指

導していると感じてしまいました。

次に本題の〇〇先生の会長就任式の挨拶ですが、(あれ~?昔聞いた内容とだいぶ違

う?)かも・・私の耳が確かかわかりませんが、原本の音声では、たしか冒頭は宗〇と

〇達を敬い厳護する→大〇本尊を受持し信じ切る→若輩ではございますが・・→邪〇を

徹底的に叩き潰し折伏をする。という内容だったと思います。

内容はだいぶ編集されてカットされていたように感じます。昔は宗〇を外護し一体でし

たが現在では魂の独立(〇〇ルネッサンス)し平成の宗教改革を成し遂げたので今の現

状と合わない部分は時間の関係もあるので編集カットするのは自然だと思うし、教義の

問題も異議を唱えるつもりもありません。

しかしビックリしたのは(私の耳が確かなら)大〇本尊の「大」という部分がない・な

い・無くなってる?ではありませんか。

配券の関係で1度しか観れないので断定できず100パーセントの確信はありません

が、確かに「大」という部分がきれいに消えている。音声に不自然がなかったので音声

画像ソフトで完璧に処理したのでしょうか?

私の個人的な意見ですが、事実は事実として伝えるべきだと思います。

励まし協会側からしてみれば事実と真実は違うし、ご本人の承諾を得ているからいいの

だ。との見解なのでしょうが、編集することと(改竄)することは意味合いが全く変わ

ってしまうと思うのです。

「大」という言葉が入ってしまっていると会員が本山を懐かしく思い、山に行ってしま

うと思っているのでしょうか?

会員はなんのためにルネッサンスしたのか、あの時なんのために〇門と戦ったのか、逆

に会員を協会側は信じていないのか?稚拙というか幼稚というか安易な考えではないで

しょうか。例えば総理大臣が過去発言した言葉を政府が現在の状況とは違うから発言し

た言葉を改ざんして政府広報に載せたら国民はどう思うのか?まして仏法は世法より厳

しいはずなのだから、なおさらでしょう。歴史を勝手に作り変えることは良くないし、

最近の会の体質を物語っている内容だと感じました。

著作権は会と〇〇先生にあるから法的には問題ないかもしれませんが、聞く側にも過去

の歴史を正しく聞く権利もあると思います。小説〇〇革命なら現場の臨場感を伝えやす

くするため編集はあってもいいと思いますが(小説なので)会の公文書的な発言を改竄

することには反対します。

6月に配られた年譜に掲載されている共〇の揮毫もなぜか大事な脇書きがコンピュータ

ー処理で消されています。脇書きの背景がありはじめて揮毫があるのに不思議です。

基準がなくなったら暴走します。政治の世界でも基準がなくなり過去の立党の精神も時

勢により解釈が自由に変わったら、むちゃくちゃになってしまう。この件に関し憂いを

感じてしまう。これでいいのでしょうか。