創価学会一般会員の日記

創価学会一般会員のつぶやき

励まし

 

今日は新聞配達しながら1面を見ているといつもの励ましという紋々が、、、よくも、

まぁ毎日毎日、励ましと言うもんだ。原田会長が2月闘争の淵源の大田区の副区長のお

宅に訪問激励(励まし)行かれたようですが、この副区長今まで35世帯の折伏をされ

てきたそうで、どちらかいえば、励ます必要あんのかな?と思ってしまいます。大体励

まさなきゃならない方は、病気で苦しんでる方や、経済苦で苦しんでる方、親の介護を

しながら、くたくたの体を引きずって活動している婦人とかではないでしょうか。本部

は総総県に会長の訪問先を条件を入れて依頼して→総県→分県→区圏→本部→支部と候

補者を絞っていくんでしょうが、北朝鮮将軍様が工場を視察するかのごとく現場は人

選をして安全(問題発言しない)候補者を推薦するんでしょう。デキレースというか官

僚的というか実に心がこもってなくて笑えます。受け側も持ち服の最高のものを着て、

部屋もチリ一つない真空状態で会長を受け入れます。そこには聖教のカメラマンも同行

して記事用の写真も撮影します。どう考えても不自然ではないでしょうか。そもそも2

月闘争は戸田先生が広宣流布の進展が思わしくないところ、停滞苦戦している地域に若

き池田先生を支部幹事として派遣し突破口を開き勝利の縮図を作り、そこから勝利のリ

ズムが全国に波及していったということではと思います。民衆の団体なら会長は型破り

な励ましをやってもらいたいです。会長も忙しいでしょうが1か月ごとに成果のでな

い、もしくは高齢者の厳しい限界地域を選んで潜水艦のように未活動の地区部長を奮い

立たせ一緒に末端をまわって1級の地区を作り勝利の縮図を作ってほしいもんです。雨

が降れば歩いて配達している方の運転手をして配達を手伝ってあげてもいいです。会員

の心を打つというものは、そういう身を捨てて会員を護るということではないでしょう

か。大体、組織主義の発想の励ましという言葉は危ない言葉だと思います。県の日程表

に座談会1週間前は励まし週間となってますが、活動家が「よーし、今から励ましにい

くぞ~。」なんて決意して家庭訪問に行くなんて不自然だと思います。信心していない

人、活動してない人はまるでいつも落ち込んでいて沈んでいる、それを励ましてあげる

代わりに選挙活動してもらおう、選挙に協力してもらおうと意図的な計算での励ましな

んて、すぐに見破られてしまうんではないでしょうか?励ましはもっと自然で言葉をか

けなくても内面から自然と出てくる人格共感だとおもいます。励ましと言う言葉は安易

に使うべきではないと考えます。自分の地域でも励まし?の達人の先輩がいます。その

先輩は、話をよく聞いてくれてたまには自宅に招いてくれ、食事を振舞ってくれたり、

とにかく人情がある方でした。・・しかし信頼していたのに話した内容、手振り素振り

まで上に報告していたのです。「まぁ仕方ないかな、」と思いましたが、その後、その

先輩と仲のいい方から聞いた話ですが「〇〇さん知ってる?★★さんのFacebook見た

ら友達が女ばっかりだよ。」というのです。わたしは先輩のFacebookを見てみたら驚

いたことに友達は婦人部の活動していない方ばかりでした。心の隙間を狙って友達申請

してライブチャットで励まし?をしていたのです。どうも話していると末活になった婦

人部の方の情報や交友関係のことを詳しく知っていて得意そうに吹聴していたからで

す。この壮年部の先輩を信用してしまって自分の内面を話してしまった末活の婦人の方

は可哀そうだと思いました。励ましも組織脳に犯されてしまうと個人情報をまき散らす

恐ろしいチンコロになってしまう。まさにサタンであり魔物です。関わらないのが賢明

です。